2007年10月12日 (金)
SMには痛みがつきまとう。
それは物理的な痛みもあろうし、心理的な痛みもあるだろう。
物理的な痛みの代表格が鞭ではないだろうか。
奴隷の身体に鞭を与えても、当然私の躰には痛みは感じない。
しかし物理的な痛みが、
それを受け入れる奴隷の気持ちとして、私へと伝達される。
物理的な痛みは分からずとも、その痛みを受け入れる心情が、
私の心を揺さぶる。
罰として受け入れたいため。
私を喜ばせるため。
もしかすると心から鞭を欲しているため。
手を鞭代わりにして尻を打とうとも、
バラ鞭だろうが、一本鞭だろうが、
たった一回の鞭打ちだろうが、
そのときの奴隷の心情こそが鞭の意味である。
痛みが目的ではないのだ。その先の部分に核心が在る。
ただし、M女性にとって、鞭が快楽と直結してしまった場合、
話は違ってくる。
鞭は痛みを与えるツールとなる。
男性器のように。
褒美としての鞭もあり得るのだ。
甘味なパラドックスだと思う。
感想等はこちら
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それは物理的な痛みもあろうし、心理的な痛みもあるだろう。
物理的な痛みの代表格が鞭ではないだろうか。
奴隷の身体に鞭を与えても、当然私の躰には痛みは感じない。
しかし物理的な痛みが、
それを受け入れる奴隷の気持ちとして、私へと伝達される。
物理的な痛みは分からずとも、その痛みを受け入れる心情が、
私の心を揺さぶる。
罰として受け入れたいため。
私を喜ばせるため。
もしかすると心から鞭を欲しているため。
手を鞭代わりにして尻を打とうとも、
バラ鞭だろうが、一本鞭だろうが、
たった一回の鞭打ちだろうが、
そのときの奴隷の心情こそが鞭の意味である。
痛みが目的ではないのだ。その先の部分に核心が在る。
ただし、M女性にとって、鞭が快楽と直結してしまった場合、
話は違ってくる。
鞭は痛みを与えるツールとなる。
男性器のように。
褒美としての鞭もあり得るのだ。
甘味なパラドックスだと思う。
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