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前回「このブログで読んでみたい話があればお聞かせください」とお願いしました。
メール・コメント下さった方、ありがとうございます。

具体的なSM的行為よりも、
主従の精神的な部分についてのリクエストが多いのが印象的でした。

今回はその中から、主従の定義について書いてみたいと思います。


さて

主従の定義・・と考えてみるに、
それがどういう条件で成立しているのか記すが良いように思えます。

主従が成立しているか・・していないのか、

そこには、はっきりとした境界があります。
そのときの条件が主従の定義と言えるのです。


それは二つあります。


では一つ目。

奴隷は主から与えらるものがあります。

それは安心感だったり、SM的な快楽だったり、充実感だったり、愛情・幸福感だったり、します。
もしかすると、言葉に表現的できない理屈ではない何かだと感じる方もいるかもしれません。

誤解を恐れず単純化して言えば、
奴隷が主人に「従う」のは、その与えられるものがあるから、です。

奴隷が主人の命令に、奴隷が好まない内容の命令でも喜んで聞き従えるのは、
それだけ奴隷が主人から与えられるものが大きいから、と言えます。

主人が奴隷に与えるものがない場合、奴隷は聞き従うことができるわけもありません。

また、
もし貴女が主人から与えられるものに満足できていない場合、
また貴女が自分の事ばかり考えている場合など、
心の中でどこか不満を抱えている場合、
主従関係は脆いと言えます。

ですから、主従の定義として、第一に「奴隷が主から与えられるものに満足していること」が挙げたいと思います。
(満足と書けば語弊があるかもしれません、感謝、ととらえてもいいでしょう)


二つ目。

奴隷は、主に仕えます。

この時、貴女は、奴隷にできる事が多いほど、価値がある奴隷である、
と考えますか?
~できる~できない、という価値観です。

もちろん私からしてできる事が上質なM女性ほど好ましいものです。

しかし調教とは、できないことをできるようにしていくものです。
それを躾け上げていくのが調教です。
その過程を好むのがSである私なのです。

すこしずつ自分好みに躾け上げる。
例えば、よりはしたない行為をできるように、より痛みを受け入れられるように。
礼儀正しい言葉をつかえるように。

ですから、できないことがあっても、価値が下がることはありません。

それよりも重要なのは「奴隷の仕えたいという真摯な気持ち」です。

この気持ちこそが、主従の二番目の定義です。

これがあれば、たとえ上手に仕えられなかったにせよ、
気持ちがある限り、調教を続くのです。

こうして一生懸命仕える奴隷を愛でることができるのです。

健気とも感じる、このM的な資質は、私が好むM女性の美点です。


今まで述べてきた二つ、

「奴隷が主から与えられるものに満足(感謝)していること」
「奴隷の仕えたいという真摯な気持ち」

この二つがM女性に感じられれば、奴隷側の主従が成立していると感じます。

これは本当に調教をするにあたって大前提、といえるようなものです。


ですが、主従の定義としては、この二つでは何か足りません。

なぜなら、ここに挙げた二つは、奴隷側の観点だからです。
そう、主側の定義が抜けています。


ではこの二つの定義の「奴隷」という部分を「主」に置き換えてみます。

「主が奴隷の仕えに満足していること」

「主が奴隷を所有したいという真摯な気持ち」

Sもこの二つを持っていることが重要ですね。

計四つの定義こそが、私の考える主従の定義です。

この四つが強ければ強いほど、主従関係は強固なものとなるのではないでしょうか。


もちろん現実の主従をみますと、この四つは強弱のついた状態で
調教が行われていく事になります。

最終的に二人の主従が理想的になればなるほど、
この四つの定義は強くなっていくのかもしれません。

ですから、主従の定義とは成長する定義と言えるのかもしれません。







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