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いままでセックスで、いった事のない女性が
調教をうけて激しく絶頂感を味わってしまう・・

はじめての経験
自分の身体の意外な反応・・
その快楽に自分自身驚いてしまう・・

そういう話は何か嘘っぽく感じますか?


調教では、奴隷のいく、いかない、は、
どちらかでなければいけない、と事はありません。

ありのままでいいと思います。


しかし、
結果的に、
奴隷は今までに経験したことのない絶頂を味わうことがあります。
調教で初めていくことを経験する場合も多いのです。

驚くことに、いった後、10分くらい、反応がなくなる女性もいます。
(初めてみたときは、心配になるほどです)


何故でしょう。

一見、いやらしい命令をされたり、縛られてバイブ責めされたり、奉仕したり、
そういう変態じみた行為自体が、
オルガスムスの元になっていると思われる方もいるでしょう。

そういう行為が貴女を狂わせてしまうのは事実です。

でも、

貴女は誰でもよいから、命令されプレイしたいのではない筈です。

ただ命令されるにしろ、興ざめしてしまう状況が山ほどあるはずです。

オルガスムスは、けっして物理的な主人のテクニックだけに
依存するものではないです。
いやらしい命令をされたから、縛られたから、羞恥責めされたから、
・・ではないのです。

それはあくまでの表面上「不可欠な」行為にすぎません。
行為自体は手段にすぎません。


とすると何なのでしょう・・?

考えてみてください。

よく言われる「精神的な繋がり」なのでしょうか??





 
性に対して、保守的な考えを持っている女性・・・
例えば、性的欲求のために、男に惹かれるのはふしだらなこと、
と考える女性がいます。

これは貞節がある、という意味で良いことでしょう。
誰とでも寝る女じゃない、という事です。

それだから故、
SMに一歩足を踏み入れる時、
「SM」を理由にして
つまり性的欲求に類する行為を理由にして
足を踏み入れる事に躊躇いを感じる場合があります。
SMに惹かれる自分を許せるものではないのです。

・・・SMをしている瞬間は、その甘味な行為に酔いしれても
我に返ると、そんな行為をしてしまう自分を後悔してしまう・・
と同時に、そんな自分を許せない

・・・肉体的快楽を追求している人と、自分とは違うと思ってきた。

・・・自分の信じてきた価値観と、身体の反応が反対。

・・・自分の意外な反応に驚き、それを拒否してしまう。


この気持ちは、先日のエントリーでも触れた
心をさらけ出した事がない恐怖と戦う悦子と似ています。

ただ一生懸命、自分の気持ちと、頭の中の理屈がぶつかりあっている
状況だけが、似ているのです。

自分の気持ちに素直になりなさい、とは言えません。

暴飲暴食の先は、死、です。

ただし、極上の味を追い続けてしまうのも人間なのです。

それを味わったことのない人が、特に不幸なわけではありません。

その代わり、その味を知っているのは、
味わったことがある人だけなのです。




 
縛られている女性。

不自由な姿形、拘束され固定されたポーズ。
そこには拘束具で感じることの出来ない、美しさがあると思います。

拘束された状態では、もちろん身動きがとれません。
全ての選択権を主人に委ねている状態です。

M字開脚などの性器を露出した格好で縛られれば、どんな恥ずかしい行為でも受け入れなくてはなりません。
もしかすると尻に鞭を打たれるかもしれません。
そのまま奉仕を命ぜられるかもしれません。

どうにでもされてしまう可能性の被虐感。
自分の意思で、自分の身体を晒し出すのです。
そういった可能性を想像するからこそ、縛られた女性は、それだけで濡らしてしまいます。

奴隷の心内には、先にある可能性を考えても答えが出てこないため、期待感と不安感が交差します。

そして、そういう気持ちは表情にあらわれます。
縛られた女性は、その姿形だけではなく、表情もエロティックです。


もしかすると、
何かされてしまう、と思っているのに、
縛ったまま何もされないことがあるかもしれません。

奴隷は床に。
主人は椅子に。
何もせず、ただゆっくりと観賞される。そういった時間が与えられる。

何もされない、ということは、複雑な感情が先延ばしされる、ということ。
それはそれで立派な責めの一種になってしまうのかもしれませんね。





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SMを、もっともっと、と突き詰めていくと、
性的快楽が麻痺してしまうかも・・と心配するM女性がいます。

SMは、感じる刺激が極端な分、
それを積み重ねていくと、普通の状態にはもう
戻れないほどどこかへ進んでしまうのではないか・と。

最初は、ただ縛られるだけで満足だったのに、
その内、吊られたくなってきてしまった・・。
そして、その次は・・。

それに慣れてしまったなら、次は何を求めればよいのか。
このまま調教が進んでいくなら、この刺激に慣れてもっとすごいことを
欲してしまうかもしれない。どうすれば・・。

SMをしていて、そういう欲望の連鎖についてよく考えます。


経験からすると、性的刺激を目的に調教を進めていくなら、
連鎖は途中で切れる傾向があります。
もしかすると、あっけないほど突然、「飽き」が訪れるかもしれません。
それはSもMも同様です。

もしそれを避けたいなら性的行為はあくまでも手段に徹するべきです。

それを目的にしてもよいのですが、
常に連鎖の危機と戦う必要があるのかもしれません。







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忙しさもピーク。

また更新があいてしまいました。

さて、感じる事を少しだけ記してみました。




奴隷に鞭を与えるのもいいが、頬を叩くのもいい。

それは表情がよく見えるから。

その表情にマゾを垣間見るなら、サドの心が満たされる。

痛みをあたえることが目的ではない。

奴隷がそれを受け入れる気持ちを知りたいのだ。

それを知りたいという欲求から、自分のSなのだと思う。

普通は頬なんて叩かれたくないでしょう?

理屈じゃない理屈を感じたいのです。








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