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時に、たいして忙しくもなく、悩み事があるわけでもないのに、
どっと身体が疲れたり、気力がなくなったりすることがあるかもしれません。

毎日の生活が同じ事の繰り返しに思えてならない気持ち。
なんとなく疲れてしまう・・。
誰でも経験したことがあるのではないでしょうか。

そんなときには、親しい友人と食事をしたり、
買い物で散財したり、旅行したり、
SMしたり・・してリフレッシュするのが、いいのかもしれません。

ただ、SMして、非日常の世界を味わえれば良いのですが、
毎日SMを中心とした生活をしていると、
それで気持ちを切り替えるのが難しくなってきます。

とくにM女性は、主人の前では常に完璧でありたい、
という気持ちが人一倍強い事があります。
そのため、しらないうちに、心が疲弊しまっていることがあるのです。

そんなつもりはなかったのに、何故か主人とぎくしゃくしてしまった・・

主人の役に立ちたいと思っているのに、気持ちが空回りしてしまう・・

特に調教をはじめてある程度時間が経過した時に起きやすいのかもしれません。

何かを思い詰めているな、と思うなら
そこから一歩身を引いてみる時間も大切な気がします。

時間をおいてみると、難しかったことがあっさりできることもあるのです。

気持ちに余裕がなくて、何かできないとき、
黙ったり、「できません」と言うのではなく、

主人に「少し時間をくださいますか」とお願いしてみてください。

覚えておいて損はないと思いますよ。






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よく躾けられた奴隷は、主人の誇りですね。

美しい言葉遣いと立ち振る舞い、そして主人好みの服装などの外見。
躾あげたかいがあったというものです。

私に対して、他のS男性が自分のパートナーを紹介するとき、
その女性と話せば、主人の調教内容も窺い知れます。
羨ましい、と思わせる躾をされているS男性も多いですね。

そういう観点で、躾を眺めてみると、
M女性は、主人と一緒にいる時間はもちろん、
それ以外の時間でも、
自分が主人を代弁する存在であることを忘れない事は大切かと思います。

主人の前ではないから、~しなくても良い、ということではなく、
絶えず自分が主人に所有されている存在であることを意識し、
行動するなら、調教の意味も増してきます。

貴女の行動は主人の一部なのです

それを忘れさせないためにも、主人は自分の奴隷に、
奴隷の証を与え、毎日思い起こさせるかもしれませせんし、
なにかを習慣づけさせる命令を下すかもしれません。

証の例で言えば、以前も書いたように、
ピアス等の装飾具があげられます。

習慣づけさせる命令では、
毎日自慰させたり、毎日剃毛させる命令は、どこかで聞いたことがあるでしょう。
また、躾という意味では、言葉遣い、ものの考え方まで
注意することがでてくるかもしれません。


自慰する際、礼儀に従って許可を乞い、
主人の視線を想像しつつ、命ぜられた姿勢で実行するなら、
それは言葉遣い、恥ずかしい立ち振る舞いまでを
躾けていることになるのです。





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ようやくあわただしい時間から解放され、ゆっくりと休日をとることができています。
仕事の忙しさは嫌いではないのですが、
そればかりだと何かがカラカラに乾ききってしまいそうです。
いまはゆっくりと休養したい気持ちが強いです。

それで今日気づいたのですが、blogをはじめて、半年以上経ちました。
まだ半年?といった感覚で、もっと長く続けていたような錯覚に囚われます。
これからも拙い文章ではありますが、どうぞよろしくおねがいします。


さて、前回の話の続きです。
前回から読んで貰えると嬉しいですね。主従関係の話です。

貴女の欲するものを、主人は把握しています。

どのくらい欲しいのか、いますぐにでも欲しいのか、を知っている筈です。

ここまでは前回書きました。

でも、貴女が渇望しても、それが与えられるとは限りません。

そう、「与えられる」のです。


「~してもらう」のではなく「与えられる」

その違いが、いつの間にか貴女の心の中に生まれるはずです。
その気持ちは「調教」によって生まれてくるものです。
与えられるからこそ、それが持つ意味が価値を帯びます。

もちろん主人は、奴隷にそれを与える喜びがあります。

ですが、貴女の欲するものを主人は、いつでも与える事ができるし、
与えなくとも良いのです。

もし欲するものを得られない場合、主人がそうしないのは何か意味があります。
主人は分かっていて、していない筈です。

さらに進めて言うと、
貴女の欲するものが「与えられる」以上、
貴女がそれを主人にねだることは、基本的に許されない行為です。

不満に思いますか?

自分が何故奴隷でいるのかを考えてください。
貴女の欲しいものをして貰うために奴隷をしているのでしょうか。
はじめはそれでも構いませんが・・。

どうでしょう。






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奴隷は主人に接する際、「節度」を持つべきです。

例えば、
貴女のご主人様はとても優しい。
主従関係とはいいながらも、ある程度、貴女の要求を受け入れてくれます。

貴女は、それに乗じて自分の要求の度合を深めていきますか?
優しいから、つい、わがままを言ってしまいますか?

それとも節度をもって、奴隷としての自分の立場をわきまえ、
自分で自分をコントロールしますか?

これが節度だと思います。

節度は、躾けることが難しいものの一つです。

節度を知らぬ女性は、自分の欲求が通らぬ場合、いとも簡単に不満を募らせるからです。
その不満に対して、簡単にその不満を解消してやる主人は愚かです。


たとえば考えるヒント。

普段の調教ルールからあり得ないことを
何かの褒美として奴隷に与えることがあります。

「~をして良いよ」

奴隷にとって、とても嬉しい言葉。

貴女ならどうしますか。

もちろん、主人の気持ちを素直に感謝して受け止めてもよいのです。

ですが、お気持ちだけで嬉しいです、と言える奴隷は節度を知っています。






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調教を開始する際、奴隷は必ず挨拶をしなければいけません。
正座して頭を下げ「調教おねがいします」というのが最もシンプルなものです。

と書くと「絶対に無理」と思う人もいるかもしれませんね。

ひどく恥ずかしい事、屈辱的な事に思えたり、拒絶的に感じる方もいます。

その一方で
その行為だけで濡らしてしまうM女性もいます。

調教は始まっていないので、まだ服を着たままかもしれません。
指一本触れられていない。
挨拶しなさいと命ぜられただけ。
それなのに、ご挨拶の言葉を口にしただけでその世界に引き込まれるのです。

しかし、初めて調教を受けるM女性がいるなら、
恥ずかしい思いをどうにか抑えて、やっと口にすることができるかどうか・。
できない可能性も高い。

もしかすると服を脱ぐことよりも抵抗感があるかもしれませんね。


どうしてそんなことを命じるのか・。



屈辱的な行為に「感じさせる」ために命じているわけではありません。


それは礼儀作法だからです。
つまり躾け。



貴女は躾けられたいと感じますか。

自分に対するその必要性を感じるなら、

それは痛切に、そして本能的な内なる欲求ものかもしれませんね。









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